僕は30歳のときに、一般事務職から転身しRPAエンジニアになりました。
現在はPMOとして働いています。
RPAエンジニアの仕事をしていると話すと、だいたい決まって同じような反応が返ってきます。
「元々理系だったんでしょ」
「プログラミングを勉強していたの?」
僕は元々理系だった訳でもないし、プログラミングの勉強をしていた訳でもありません。
「SE(RPAエンジニア)=理系」という思い込みがあるように感じます。
数年前までは、PCを使う時はインターネットの閲覧かオセロゲームをやる程度でした。
Excelの関数すら全く使えない、超初心者レベル。
そんな僕でも、地道な努力とチャレンジでRPAエンジニア歴3年という経歴が付き、キャリアアップできました。
今回は僕がスキルアップしてきた経験について、お話していこうと思います。
2週間の研修
僕の場合は未経験でRPAエンジニアという職種に転職しました。
RPAであればプログラミング知識が無くとも、Excelが使えれば大丈夫と聞いたので、まずやってみよう精神で始めました。
RPA未経験可の会社に入社し、まずは研修からのスタート。
研修と言っても実際は、研修用資料を渡されただけの、自己学習。
隣では同タイミングで入社した、僕より年下の愛嬌たっぷりの女性が同期で入社し、バリバリ働いていました。
「〇〇さんは、本当上達が早いね!」
先輩にすでに気に入られていたその女性は、高いコミュニケーション能力と、抜群の吸収力で仕事を覚えるタイプ。
どんどん上達していく女性の同僚を見て、僕も後れを取ってはならないと、焦りを感じていました。
そんなこんなで2週間の研修という名の自己学習が終了。
その後は、早速お客様先に常駐し構築を行う、実践が待っていました。
「もう現場に行くのか…。」と思っていた矢先に、先輩から頂いた一言。
「RPA経験2週間とは言わないでくださいね」
「もしお客様から聞かれたら、半年以上経験があるって言ってください」
予想外の一言に動揺したものの、「は、はい!」と返事をしました。
「要するに嘘をつけと言うことか」と思いながらも、現場に行く日がやってきました。
いざ現場へ
始めていく現場は、先輩の補佐として同行しました。
「ここからこの部分だったらできますか?」
先輩が僕のレベルに合わせて業務を分担してくださったので、初めてのRPA構築は、何とかやりこなすことができました。
「意外とできるかもしれない。」僕は自信がつき始めていました。
しかし、調子に乗って伸びた僕の鼻は、次の現場でへし折られることに。
翌週には次の現場に常駐し、前回と同じように先輩と一緒に業務ヒアリング。
だいたいの構築の流れを先輩と擦り合わせると、先輩は僕にこう言いました。
「それでは、後は一人でよろしくお願いします」
「何かわからないことがあったら電話ください」
「えっ!帰っちゃうんですか?」
2週間の研修という名の自己学習と、3日間の現場経験をしただけの僕は、急に一人で現場を任されることになりました。
いつクビにされるかの瀬戸際
そのまま、一人で担当することになった2回目の現場では、約一か月ほど常駐しました。
その一か月は、構築をするにも分からないことだらけで、壁にぶち当たり続ける日々。
もちろんお客様には、「経歴1か月程度の素人」という、真実は伝えられません。
ベテランの技術者として振る舞う必要があり、技術的な質問も次々と受けることに。
その度に何度も先輩に電話し、いつクビにされるかという瀬戸際で、死に物狂いで働いていました。
毎日夜遅くまで残業し、疲れ果てながら帰宅。
帰り道に何度も通って、尽き果てたエネルギーを補給するように食べた、からよしのから揚げ定食の味が今でも忘れられません。
サポートセンター業務
その後、RPAを導入する企業の「サポートセンター」としての業務を行いました。
サポートセンターとは、RPAに関する問い合わせ窓口のことです。
その当時の僕は、まだRPA経歴3か月程度の新参者でした。
経歴が浅かろうと、言い訳をすることはできない状況。
2人体制で一緒に働くことになった男性の同僚も、RPA経験半年ほどで、RPAの知識は僕とほぼ同レベル。
技術的な問い合わせに答える業務は、至難の連続でした。
しかし、質問されて確認し、説明するとう行為は「なるほど!」と、勉強になることばかり。
インプットとアウトプットの連続で、RPAに対する理解が深まった経験でもありました。
独り立ち
その後、ついに一人で業務を担当するようになりました。
その当時の僕は、RPA経験2年ほど。
もう手助けをしてくれる先輩がいない状況下で、プレッシャーもありました。
しかしやってみると、思っていた以上にRPA知識や技術が身についていることに、気づきました。
また、完全に一人で業務を担当することで、自分にとって大きな自信になった経験でもありました。
教える立場へ
2年半が経過した頃には、RPA未経験の新人の方へ、指導をやるようになりました。
自分が全くの未経験だったからこそ、何につまづいて何がネックになっているか、手を取るように分かります。
サポートセンターの時の問合せとは違い、人を育てる教育の業務を通して、自分自身が身に付けてきた知識と経験を整理する時間にもなりました。
まとめ
右も左も分からない全くの未経験でも、やるしかない状況下に身を置いたことで、スキルアップしていきました。
体得するまでの道は、決して簡単なものではありません。
同期で入った女性の同僚も、サポートセンター業務で一緒だった男性も同僚も、RPAを身に付けることに挫折し、退職していった姿も見てきました。
働きながら大切にしていたのは、尊敬する経営者の方から聞いた、うさぎとかめの童話です。
「どんなノロマな亀でも、前に進み続ければ、ウサギに勝てる。」
僕はまさしくノロマな亀でしたが、決して諦めまいと、前に進んできたからこそ、技術者としての経験を積んだ今があります。
これからRPAエンジニアとしてチャレンジしようとしている人、今まさにチャレンジしている人の、勇気になればと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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